子どもと口の健康情報
[委員会報告] 平成25年9月1日
小児科と小児歯科の保健検討委員会
わが国では戦後しばらくの間、新生児および乳児の舌小帯短縮症は治療の対象とされてきたが、近代医学の発展と共にその根拠が薄れ、舌小帯の手術は行われなくなった。ところが、1980年代以後、母乳育児が復活するようになると、一部の医師から舌小帯短縮症と哺乳障害の関連を指摘して早期の手術を推奨する意見が出され、子育てや医療の現場で様々な波紋が広がった。
一方、歯科では幼児の咀嚼障害や構音障害と舌小帯短縮症の関連を指摘する意見がある。そして、舌小帯短縮症を治療の対象として、幼児期前期の小児にも早期の手術を推奨する歯科医師がおり、子育てや医療の現場では混乱が生じている。そこで、舌小帯短縮症に関する多職種による最近の考え方をまとめた。
Ⅰ. 舌小帯短縮症とは
舌小帯は舌と口腔底をつないでいる薄い膜で、図1の写真(6歳男児)に示されているような形をしている。舌小帯の前縁の口腔底近くに左右1対の舌下小丘があり、ここから顎下腺と舌下腺の唾液が分泌される。
舌小帯は新生児のときは成人よりも厚く短くて、舌の先端近くまで付いているが、子どもの成長と共に舌が大きくなることで次第に長く扁平に引き延ばされ、付着場所も舌の先端から中程に後退していく。このような子どもの成長による変化が起きないで小帯が短く厚いままでいると、付着位置も後退しないで図2-a の様に舌小帯短縮症になる。
舌小帯短縮症では舌の運動が障害され、舌の先端を前方あるいは上方に移動させることが障害される。このような運動をしようとすると、図2-b の写真に示されているように舌の先端にハート型のくびれが生じる。しかし、このような舌の運動障害があっても、軽度の場合は口の機能に影響しない、あるいは舌の先端以外の運動を適応させるなどして機能を補うことが少なくない。したがって、舌小帯短縮症が必ずしも口の機能障害に結びつくとは言えない。
なお、今回の検討では舌小帯がほとんど無く、舌が口腔底に癒着している舌強直症は対象から除外した。
1. 新生児期、乳児期前期
かつて舌小帯短縮症は母乳育児の推進のために手術の対象とされていたが、その医学的根拠は無く、舌小帯の手術は行われなくなった。
新生児および乳児の哺乳障害には様々な原因が考えられているが、舌小帯短縮症と哺乳障害の関係を調べた報告によれば、いずれも統計的な関連性を示す結果にはなっておらず、舌小帯短縮症が哺乳障害の主たる原因になるとは考えられていない。したがって、この時期に遭遇する舌小帯短縮症は哺乳障害とは関係がなく、手術を行う必要はない。
2. 幼児期全般
日本語では発音する時に舌の先端を上顎の前歯の裏側に接触させるものがあり、これらは歯音や歯茎音と呼ばれている。具体的には、タ行の一部(タ、テ、ト、ダ、デ、ド)とナ行が歯音で、ラ行が歯茎音である。舌小帯短縮症では舌の運動障害の程度によってこれらの発音が曖昧になる。同様に、英語では l, r, th 等の発音が曖昧になる。ところが、舌小帯短縮症の小児のうちで構音障害を認めた患児への言語治療では、3歳代で機能訓練を開始し、構音機能の発達完了期の5歳時に治療効果を判定し、その結果から手術の要否を判断しても機能は十分回復するとの報告が複数あり、構音障害のために早期(2〜4歳)に手術をする必要性はないとされている。
一方、固形物を食べる時は先ず前歯で切断し、口に入った食片を上下の奥歯で噛みつぶし、唾液と混ぜて嚥下する。口に入った食片を噛みつぶすにはそれらを上下の奥歯の間に移動させて、ほんの少しの間保持しなくてはならない。この時、舌と頬、顎の協調運動が必要であり、それぞれの器官の何れかに運動制限があると摂食機能障害の可能性が出てくる。舌小帯短縮症では舌の運動制限が生じることから、その程度によっては協調運動に乱れが生じ、食片をこぼすといった問題が生じる可能性もある。
ところで、従来から歯科領域では舌小帯短縮症が歯列発育に影響を与えるとの意見があるが、その科学的根拠は提示されていない。
(1) 幼児期前半
歯科領域では舌を出すとハート型になる舌小帯短縮症は手術の適応とされてきたが、言語治療の統計研究の結果や摂食機能の発達完了期が2.5〜3歳であることを考えると、この時期での手術の必要性はないと言える。
(2) 幼児期後半
幼児期は構音能力が発達する時期なので、舌小帯短縮症があって構音障害を認める場合でも、経過観察するか状況によって3歳以後に言語治療を行うが、手術の必然性はない。構音能力の発達完了期の5歳時になお構音障害がある場合は手術の必要性があるか否かを判断する。
4〜5歳で食片をこぼすといった摂食機能障害がある場合、障害の程度と患児の心理的状況によって手術が必要か否かを判断する。
ただし、舌小帯短縮症による機能障害(構音障害、摂食機能障害)がいじめや劣等感などの原因になっていると判断される場合には比較的早期(3〜4歳)に手術の検討が必要になる場合もある。
1. 小児科医師、助産師、保健師および保育士に対する提言
新生児期から乳児期前期の舌小帯短縮症は哺乳障害とは関係がなく、手術の必要性はない。幼児では舌小帯短縮症で摂食機能障害(食物をこぼす)や構音障害(発音が曖昧になる)が発生することがあり、状況によっては治療の対象になる可能性もある。3歳以降に何か問題がある舌小帯短縮症をみたら、機能訓練や手術が必要になる場合もあるので、小児歯科専門医に紹介する。
2. 歯科医師および歯科衛生士に対する提言
幼児の舌小帯短縮症に遭遇すると直ちに摂食機能障害や構音障害を考え、幼児期前期でも治療の対象であると保護者に伝え、手術を勧める歯科医師がいる。しかし、たとえ機能障害が認められても、実際には舌の発育と共に舌小帯は変化し
て機能障害が改善する可能性がある。また、早期の形成術は瘢痕化する危険性があり、かえって事態を悪くしてしまう可能性もある。さらに、低年齢の手術は子どもの身体に大きな負担となる。
以上のことから、舌小帯短縮症による機能障害は、特別な場合を除き、3歳以降の機能訓練や構音治療による対応で良く、手術の必要性があるか否かを4〜5歳以降に判断しても問題はない。
コラム:赤ちゃん言葉、幼児語と構音障害
日本語を話し始めた頃の幼児は「お母さん」が「お母たん」になったり、正しい発音ができないことがある。これを赤ちゃん言葉、幼児語と言う。普通の子どもはどのようにして日本語を話すようになるのであろうか。
乳児は生れた直後から微細な音の違いを聞き分けられ、世界中のどの言語にも適応できる音韻知覚能力がある。ところが、育ってくるうちに、母音は生後6か月、子音は生後10か月には、母国語の音声のみが聞き分け可能となる。
音声は体外に吐き出す空気が声帯を振動して作られる。これが口腔、舌、唇を通過するときに、唇や舌の動きで、さまざまな固有の音声が作られる。音声の発達は、先ず生後2か月頃になると、喉の奥でクーと鳴るようなクーイングが聞かれる。
2~6か月頃の乳児はなんでも口へもって行きしゃぶるが、これには二つの意味が考えられる。いろいろの物の硬さや、味、匂いなどの性状の違いを覚えることと、食物を食べるのに必要な舌の動きと、種々の音を出すのに必要な舌の動きを練習しているのではないかとも考えられる。その後、過渡期の喃語が現れ、生後11か月頃になると「ババババ」「バダ」「バブバブ」の音が反復して表出されるようになる。
言葉の発達は耳が聞こえること、知能や社会性が正常であることが条件である。
お誕生前後より初語を話し始める。言葉が話せるようになると、「さかな」が「たかな」、「くすり」が「くつり」、「はさみ」が「あさみ」、「さかな」が「たかな」、「そら」が「とら」、「つくえ」が「ちゅくえ」などの幼児語が出てくる。サ行がタ行になってしまうとか、カ行が全く発音できなくて「たちつてと」になってしまうとか、ラ行の発音が一番難しい。これらの幼児語は大人が直さなくても、周囲が正しい言葉を話していれば、子ども自身が修正し、小学校に入学する頃には正しい言葉を話すようになる。
これらの幼児語は舌とか、口とか唇の動かし方が未熟であるというだけで原因が良くわからない。これらを機能性構音障害という。唇顎口蓋裂、難聴、舌小帯短縮症など原因が明らかなものを器質性構音障害という。脳障害のために舌や唇や喉の運動がスムーズにいかないものを運動性構音障害という。それぞれの特別な治療が必要である。わが国では幼児語は舌小帯短縮症、いじめ、欧米への留学などの特別なことが無い限り問題にされることはあまりない。
機能を獲得する言葉の発達で、どの言語でも発音できる音韻知覚能力を失って母国語が話せるようになるのは興味あることである。
(前川喜平)